今年は、お米屋さんに熱中してます。
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こんなロゴを作って応援してます。
間もなくオープンします。

昨日は、NPO法人の仕事でドクターにインタビューにいきました。
「13年もの」愛車、プラドに乗って。
夏の暑さで、体力が落ちていますが・・・
赤ひげ(決してひげがあるわけではありません)先生にお会いして元気をもらってきました。

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植村直己さんは、兵庫県豊岡市日高町上郷生まれです。
植村直己冒険館が神鍋高原の途中の伊府というところにあるので、都市部からこれる方はそのあたりに生家と思われているようです。 上郷には、ロマンフル公園という里山公園があり、直己さんのお墓とモニュメントがあります。但馬・豊岡の植村畳を左手に通ってつきあたりがロマンフル公園の入り口がある頼光寺です。
こちらでは、当たり前の話ですが、畳屋さんです。株式会社植村畳が生家です。豊岡市、但馬地域、否、関西圏でもかなり大きな畳屋さん(日産 新畳 200畳 ・ 表替 80畳とのことです)です。
社長さんは、直己さんの甥っ子さんにあたり、顔がよく似てます。温厚な人柄もおそらく、DNAだと思います。当社のWebの手作り人のお店で、植村畳さんの畳素材を利用した小物を販売しております。

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サイズオーダー可能な商品もあります。↓ 私のお気にいりです。

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一般消費者に販売された日本で、最初のウスターソースです。
mitsuya.gif情報が正しいか否かわかりませんが、Wikipediaも参考にしてください。Wikipediaには書かれておりませんが、洋食がはやりはじめた、1887(明治20)年にヤマサ7代目の浜口儀兵衛さんがウスターソースを製品化したそうですが、一般に普及せず、1年で製造中止。7年後に、越後屋産業の布谷徳太郎さんが、「三ツ矢ソース」の開発・販売を開始したそうです。当時は、ソースと言わず、「西洋醤油」という名で売り出しましたと他の方が書かれているものがありました。一時は、中国にも輸出されていたみたいです。
三ツ矢ソースの創業者のお孫さんにあるご縁で知り合いになりました。
すごく温厚でよい方で、見るから(お話をしても)に坊ちゃんという方です(ボランティア活動も熱心にされておられます)。この人は、ただ者では、ないと思っていたら、本物のお坊ちゃんでした。
というわけで、現在も販売されている「三ツ矢ソース」をゲットして、本日、そのウスターソースを食すため、目玉焼きをつくり、食べました。
三ツ矢ソースで検索していただけると結構ファンがいらっしゃるとおり、90日以上の木樽熟成のためかコクがあってまろやかです。ご機会あれば、お試しください。
なお、現在は、和歌山のハグルマソースが製造・販売しています。

鳩山首相の辞任

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昨日の辞任で、誰かは、ほっとしているはずですが。。。

実は、「共同幻想」を担う霞が関の一部の人々かもしれませんね。

郵政法案の廃案、参議院選挙の動向で、誰がどのように動くのでしょうか?

「国民が聞く耳を持たなくなって」という発言には、党名、党是も含め、考えさせられます。
「民主」というなら、「国民のみなさんの声が聞き取れなくて」というのが正しいような気がしたりもします。
ポピュリズムに陥るのではなく、「人心」(明治時代のようですが)を把握して、「民主」たる政治を目指してほしかったですね。

「チーム・・・」という言葉がもてはやされているような気がしますが、政治家の方々も官僚の方々も一般市民も国家というチームの一員だと思います。
個々の「人心」に耳と心を向け、モチベーションが上がる指導力を発揮するのが政治家なのではないでしょうか?


 

実は、私はクローン病という難病に罹患してます。
16歳からおそらく発症していたのでしょうが、23歳の時に病名が判明しました。
今は、医療が進み発症後すぐに診断が付くことが多くなりました。

私はすでに46歳なので、およそ30年の付き合いです。

決して隠しているわけではないのですが、仕事上は、積極的に病名を表明したことはありません。
クライアントが変に不安になられると困るからです。
そもそも、私が、この仕事に付いたのも、クローン病のおかげかもしれません。
23歳でまだ学生でしたが、コンピュータとはゆかりのない学部に在籍してました。
病名がわかってから、何か手に仕事があればと思い始めたのがコンピュータです。結局、その世界で生活の糧を得ています。

病気をハンディーと捉えるか「特性」と思うかなのでしょうが、「特性」と捉えることのできる世の中になればと思っています。仕事とは、関係ありませんが、私は、http://ibd-support.org のメンバーです。小さなムーブメントを手助けできればと考えています。

 


 

長男が小学生に上がり、はや3年。
4月からは、4年生となる。
ご多分に漏れず、PTAに参加するようになってきた。
昨夜、本部(?)役員選出の会議がありました。本部とは、学校と連携していろいろなPTA行事を企画運営しているところのようである。

失礼ながら、地区委員なるものになるまでは、全くPTAの組織構成など知らなかった。
PTA総会などあるときに漠然と聞いているだけであった。
1学年が、ほとんど1クラスという小さな学校では、いかにその「本部役員」に苦労があるかということを知った。というわけで、本部役員になる方を探し説得することが至難の業であることを確信した会議であった。日本のPTAは、発祥のアメリカとは違い自発的な組織ではなく、戦後半強制的にGHQの提案により導入されたようで、どうも義務や強制でボランティアをさえられているという感じが強いらしい。
かといって、いまさらPTAを解消し、自発てきな組織ができるかといえばそうでもない。
生活に追われそんな余裕がないのが実態である。

話は随分飛ぶが、明治の学制ができたころ、小学校は町が育てるものであったらしい。特に京都などは、明治五年の義務教育令がでる三年早く番組小学校が創建されたそうです。町衆が私財を投じ、小学校教育の環境を整えたそうである。当時、校長の任命権すらもっていたそうだ。

子供を通わせる親ですら、PTAの組織を知らないのである(おそらく私だけではないと思うが)。
教育現場にもっと関心をもち、いろんな人がコミットできる小学校であってほしいと思うのであった。

子供を運ぶと言われるコウノトリの街の一小学校の話である。

改造---山本実彦

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小生にとって、改造という雑誌は、左翼系の評論雑誌だと思い込んでいた。
先日、ETVで続夫婦善哉の原稿が発見された話とともに改造の番組があった。

番組を見終わって、「言論の自由ができてからなぜ復活できなかったのか?」という疑問が聞こえてきそうであった。

番組中の高杉一郎氏のインタビューが聞けたのがよかった。氏は今年の1月9日に99歳で亡くなられている。

氏の間合いのあるインタビューは、「間合い」には加齢によるものではない熟考した「思い」が伝わってくるようであった。

戦後、すぐに言論は自由になったと思っているが、それは全くの幻想である。

その後も、言論は果たして自由であったのであろうか?

確かに、今は、厳然とした形で戦う相手が見えない。

チヂミといっても、「縮み」ではありません。
韓国料理のチヂミです。
小生全く知りませんでした。
「えー知らんのぉ?」を家内に言われました。最近スーパーでは、お好み粉ならぬ「チヂミ粉」があるそうです。
詳しくは、wikipediaをご覧ください。
職場のスタッフにも同様のリアクションをされました。
Webで検索するとチヂミ情報はいっぱいありました。私は、以前東京に住んでいたので、「もんじゃ焼き」は食べたことがあるのですが、チヂミはお目にかかったことがありません。
ところが、件の職場のスタッフには、チヂミのたれまで冷蔵庫に常備しているとのことです。かなり食通のお家ではあるが、そこまで浸透しているのでしょうか?
それとも、単に小生が世間の食文化に無知なのか?

あけましておめでとうございます。
ほぼ、1年お休みしておりました。諸般の事情というよりも、サイトの引越し先を探していたのですが、結局とりあえず、会社のサイトを借りました。
また、いずれ、blog.katsuhiko.bizに引っ越すつもりです。

昨年は、「偽り」の1年といわれましたが、今年はどんな時代になるのでしょうか?

昨年は、書籍にはなんでも、「品格」と付けられましたが、今年は、「見識」かなと思ったりします。