真空管アンプと手紙


どうも、一誌にかたよるが、一杯50分の珈琲の次は、マックトンの真空管アンプであった。音響関係の技術的なことは、まったくわからないが、真空管のアナログの音の伝わり方は、ゆったりのように感じる。空気が揺れて音が伝わるのであろうが、伝わり方にゆったり、ゆっくり感がある。本当に、ゆったり、ゆっくり伝わると間の空気の状態のよってもズレるのであろうが、そのあたりはさっぱりわからない。「ズレ」と書いたのは、真空管アンプと手紙になんとなく、私には同じ心地よさを感じる「ズレ」と思うからである。
私は25歳という遅咲き(咲いてはいないが)のコンピュータープログラマーである。学生時代のレポートは、ほぼすべて万年筆で書き、携帯のなかった時代で、手紙をよく書いた。物書き気取りに、「原稿用紙にて失礼します」という書きだしで、原稿用紙に手紙を書くのが好きであった。今から思えば、変わり者である。手紙を書くときは、そのときの思いを比較的ダイレクトに書くが、ポストに投函してから、「しまった」と思うこともしばしばあった。そこには相手先にとどくまでのタイムラグ(日数レベルの)がある。だから、よりしまったと思うことが多かったのかもしれない。でも、その「しまった」という思いは、届くまだのタイムラグのおかげで、自分の頭でずいぶん「シナリオ」(言い訳ばかりじゃないが)が書けた。
今なら、E-mailでほぼ瞬時に相手先に届く。便利かやっかいか、携帯(スマホも含め)にメールなんぞをおくると、ほとんど瞬時に相手先に届いてします。「しまった」と思ったときには、返事が返って来たりする。手紙のいう伝達媒体が主流であったころは、「行間を読む」という思考の作業があったが、E-mailであまり行間を読んだことはない。
デジタル音源をヘッドホーン(イヤホーン)で聞くと空気のずれを感じることはないのではと思う。行間、空間、全然違うが、そのズレが心地よさを生んでいた部分もあるように思う。伝達の「空間」が開きすぎると誤解が生じるのも「実感」して経験しているが、心地よい空間すら次第に少なくなってきているような気がする。